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皐月賞が地方所属馬に開放されたのは1995年。その年、北関東のハシノタイユウが弥生賞3着で出走権をつかんで皐月賞に挑んだが、9着に終わる。 それ以来の有望なチャレンジャーとなったのが、2004年のコスモバルクだ。前年の2歳時には百日草特別をレコードで制し、さらにラジオたんぱ杯2歳S、年明け初戦の弥生賞と連勝。なんと地方所属馬が1番人気で皐月賞を走ることになったのである。 これにストップをかけたのがダイワメジャー。この時点では何の実績もなく、10番人気に甘んじていた存在だ。 若かったあの頃 この時期までのダイワメジャーは、とにかく馬が若かった。稽古ではゲート入りを嫌がり、デビュー戦ではパドックで突然ゴロリと横になってファンの失笑を買う始末。レースぶりも安定せず、初戦は差し脚届かず2着、2戦目はダート戦で9馬身差圧勝を飾るが、3戦目は先行しながらもバテて4着、断然人気を裏切ってしまう。父サンデーサイレンス、母スカーレットブーケから受け継いだ素質をまったく生かせないでいたのだった。 4戦目のスプリングSで3着に粘って皐月賞出走権を何とか手にしたが、コスモバルクのほか、スプリングS勝ち馬ブラックタイド、2歳王者コスモサンビーム、京成杯を制したフォーカルポイント、若葉S1着のハーツクライなど素質馬が揃った本番・皐月賞で大きな支持を得られなかったのは、当然のことといえただろう。 大変身で完勝。そして名馬へ が、そのレースぶりは実に堂々としていた。逃げるメイショウボーラーを2番手でマークしたダイワメジャーは、ペースが上がった3コーナー過ぎ、早めに動き出す強気の競馬を見せる。前年ネオユニヴァースでこのレースを制している鞍上・デムーロ騎手の、積極果敢な騎乗だ。直線半ばで先頭に立つと、そこでさらに加速。ゴール前の急坂を一気に駆け上がり、外から猛然と追い込んだコスモバルクを1馬身4分の1差封じ込める。 それまでの若さが嘘のような、スムーズかつ力強い走りで第一冠を制したのであった。 その後ダイワメジャーが果たした偉業はご存知の通り。喘鳴症の手術を乗り越え、天皇賞(秋)を勝ち、安田記念を制し、マイルチャンピオンシップを連覇。名マイラー&名中距離馬へ向けての第一歩を記したレースこそ、突如の変身を遂げた、この皐月賞だったわけである。
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